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頭巾旅行用

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2018年の6月に坂土山に登ってきました!

低木が主で遮蔽物がない日差しの中を紫外線最高潮の6月に登って死んだので


夏場の日中登るときは本当に
お気をつけくださいーーー!!!!!!
 


















624m、正直なめてました…
午後の日ざしが和らいだ頃にペットボトルだけ手にもって
地元の人が登りはじめてたのが印象的でした。(正しい)

商店街のお店、越後のもち豚めっちゃおいしかった…


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板橋区立郷土資料館の特別展「武具繚乱」にいってきた!



ちょーーっと前に板橋区立郷土資料館の特別展「武具繚乱」
その展示解説の日にお邪魔したら、今までわっかんないな~~と思ってる部分を
めっちゃお答えいただいてアハ体験がすごかったです。


とりあえずこの汚いメモを…(どうぞ)







甲冑のポケットの正式名称は「鼻紙袋」
篭手に付いたしゃもじ的な奴は「瓢(ふくべ)篭手」という名前だそうで。
そして瓢(ふくべ)篭手は「何でこんな形なのか分からない」のだそうです。
分からないという事が分かるのも安心します。
江戸の甲冑は遊び心満載でそこが小物入れになってる奴があるそうです


※参考(展示にはない)


謙信の愛用の刀は鍔のないカッコイイがあったりして、
今まで自分の中でてっきり『拙者は鍔を恃んで仕合しておらぬ(キリッ』的な
「あるものを特別に取り払って危険な美学フヒヒ」なのかと思っていたのですが、
いやいやそれは特別なものではなく、単なる古いタイプだよ、と。
昔の絵巻とかには鍔のないもの沢山書かれているよ、と
言っていただけてそっかーと思ったり。

何故古式なものを愛用してたかは…やっぱ趣味なんですかね?
古色を愛する謙信?と思ったり。


ただ一つちょっとこれは美学なんでないかというものがありまして…





展示の入り口近くにあった大きな金色の甲冑の草摺部分、
上の板の下の板に重ねていくというのが『特異な手法』らしいのですね。
考えてみれば上に重ねないと板を泊めない限りビランビランする。
なにがいいたいかというと、ふと思い出したのが謙信の金色イカ兜
横が下重ねだという事ですよ…






このビラビラは美学なのだと思うと興奮しますわ!

 




時々具足についてる乳首ピアスみたいなのなんなのか、と気になってたのですが
それも名前が判明、「両乳の環(りょうちちのかん)」!!!!そのまんまジャネーカ!

あとは面頬の機能や江戸時代の甲冑の面白さなどなど沢山解説いただいて
アハ体験がすごいすばらしい解説&展示でした







印刷博物館の企画展「武士と印刷」展に行ってきた(東京)



※2017年1月15日(日)まで開催しています!



先日印刷博物館の企画展「武士と印刷」展に行ってきました。


「描かれた昔の武士」と「それを発注した藩主・武将」について着眼している。

盛り沢山で浮世絵見るだけでしたらもっと早いかもだけど、
和とじ本も含めじっくり見たら2時間はオーバーする。
充実の展示、甲陽軍艦の本物もある。家康の銅製活字がすごい。



浮世絵の資料目録。
たとえば鬼小島弥太郎の浮世絵等、資料の保全の関係か期間限定のものが多い。
歴史クラスタが推し武将の絵に会えますように~





里見八犬伝から水滸伝も展示してあり、大体が歌川国芳の中、
突然全くタッチがちがうのがあってすげえなんだコレ!?と表紙を良く見たら
「新編水滸画伝」「葛飾戴斗先生画」って書いてあってH O K U S A I !!てなった。
やっぱちがうぜ北斎…大好き///




書籍と、それを発注した藩主、大名の展示目録。和綴じ本どっさり…




兼続が選んだ中国の詩を集めた『文選』という本の初版と重版も共に展示され、
その違いが罫線の有無であったりなど解説されている。
死後に奥さんのお船さん&上杉家が重版をかけたそうです。


新潟三日目:御館DE焼失直江津ツアー後編





前編で片葉の葦をみたあと、すぐ近くにある

 5:府中国分寺 へ。

神仏習合で境内に白山神社のお旅所があります。
イベントの時(…)住職さんが門の所で神様をお見送りしたりお迎えしたりするそうです。
めずらしい…。




国分寺は謙信が再建、しかし当時のものではない。
一度火事にあう。割と最近で原因不明、この後に会う目撃者の方曰く
「本堂の消火は諦めたのかむしろ五重塔の方にじゃんじゃん水をかけてた」




      \水ぶっかけられましたー/

古くてカッコイイ!
干支の彫りが凄い!!!



その本堂が燃えた火事の目撃者のHさんとは ↓ の
親鸞聖人のいた竹之内草庵の前でお会いしました。





Hさんには色々な話を伺ったんだけどあんまり書くとご迷惑かかるじゃろか…

国分寺は檀家を持たない。住職さんは派遣されてやってくる。
お嫁に入られた変わった苗字のH家は、元信濃の国人衆だったそうで
色んな変遷あって越後へ。今は市町村合併でHの地名は消えている…などなど

近くの光源寺には村上義清の供養塔があり、案内してくださった。



雪の深さを思わせるカッコイイお寺です




6:村上義清の供養塔

 


村上さんは糸魚川の根知あたりの県境を守っていてなくなった説があるそうで。
Hさん色々親切に教えてくださりありがとうございましたー!







7:親鸞聖人上陸の地

チャリできた!
謙信にとっては200年以上前の偉人ですがどう思ってたのでしょうね…
(親鸞聖人のことよくわからないので他に感想がない…)

   

↑ クリックすると大きくなります


  





8:親鸞聖人の鏡ヶ池




居多神社の方面へ引き返すとある鏡ヶ池。
ここにも片葉の葦があります。
眺めてたらGACKTファンなの?とおばあちゃんに話しかけられる。


私は謙信好きの歴史オタクなのですが、
謙信公祭りの後で女が一人史跡にいるのを見た直江津の方たちは
大抵先ずGACKTかっこいいよね!って話しかけてくれることが多いです。
その後謙信オタクで…っていうと、そうか!という感じで歴史系モードにシフトする感じも…
まずジャブで距離を測る感じ、お気遣いが大変いとおしくありがたい…(*´ω`)

なんて思っていたらおばあちゃんGACKTガチ勢でした。

GACKTのことよくわからなくて最初どういう人~~?音楽の人~~~?
って思ってたらめっちゃかっこよくて大好きになったというおばあちゃん。
GACKTが謙信で嬉しかったと、
ジモティーはケーブルテレビで謙信公祭りを見る教えてくれるおばあちゃん!
おばあちゃんめっちゃ喜んでる、GACKTありがとう!!!
別の大河かなにかのドラマの中井喜一の話をしてたのはHさんだったか!!
芸能人全然分からなくて風林火山もみてなくてごめんなさい!!!!!
直江津あいしてる!!!
直江津いとしい!!!!

そういえば天地人の話が全然でてこなおえつっ……………!




9:十念寺(浜善光寺)

 

信玄と長野の善光寺を争って、なんかしらを安置したので浜善光寺です。
(勉強がんばろう)




その後イトーヨーカドーでレモンラーメン食べた後、
図書館で五智歴史の里会館で見た「上杉謙信物語」についてお尋ねし、
物凄く親切に色々なところへ問い合わせていただきました。
(その時は手に入らなかったものの再販されたのか、
後日居多神社で友達が見つけて買ってきてもらえました。
今は手元にあってペロペロしております。
ありがとうございました。゚(゚´Д`゚)゚。ツタワレ)

その後
喫茶店のマダム(謙信好き)とディープな感じで楽しく話しこみ、
林泉寺方面を攻めてたオタクの別働隊(智さん)と合流。
帰り道の超快速スノーラビットより最後の最後でチラ見した


10:景勝の魚沼時代の居城、坂土城~~~~~~~!!




                     \カタクリの名所ダヨ~/



以上謙信公祭りからの新潟旅行終了しました。

直江津めぐりは、五智方面は史跡同士がわりと固まっているので
レンタサイクルだと一筆描き感覚で効率よく回れるのが嬉しいです。
のんびりがっつり回ってこれなので、サクサク行けばもっと回れると思います。
取りこぼした史跡も沢山ありそうですが、ちょっとでもご参考になれば幸いです。


米沢探訪:謙信探しと景勝展に行ってきた:前編


2016年6月、米沢に行きました。
目的は 謙信のお墓参り&生遺物を拝む&上杉博物館での景勝展見学 です。


上杉家は謙信の死後、会津→米沢と引越しを余儀なくされたので
謙信の遺骸の入った甕や、生前使っていた持ち物などは持っていかれて、
もともとの拠点だった上越市にはあまり残っていないのです。


ものすごく暑かったです。
ここからしばらくの写真がなんか白茶けているくらい暑い。



いきなりアウェーを感じさせる義と愛。
ここは謙信ではない、景勝と与六の地。



        \超オススメ♡/



宮坂考古館は駅から近くて、しかも収蔵品が鎧や火縄たっぷりで
すごく見ごたえがあります!必見むしろ上杉博物館よりも ゲフゲフン




憲政プレゼンツの謙信のトンボの鎧垢抜けててかこいい。
上杉憲政さんご本人の鎧もすごい上品シックなオシャレさ。セレブは違うのか…
観音と雲の前盾の流行を始めたのは誰?



個人的好み一等賞は 潟上秀朝さんの鎧!!です!!!

小島弥太郎の鎧が若干ヤンキーセンス。
絵にもかいてありますが並んでると弥太郎下品www 個性があってみんないい。
目録を買おうと思ったのになぜか後の上杉博物館にも置いてあるだろうと思いこんで
結局買えずじまいでした…なんでそう思った。




ここですでにフラフラになった友達(最上家臣)と合流。
駅に戻ってレンタサイクル→飯→上杉家廟所へ

結構離れているのでレンタサイクルめっちゃオススメ。





ウコギの垣根!!これが有名なウコギ!
兼続が持ってきて、鷹山さんが励んだ!ウコギ!!義



 

角を曲がるといきなりホーリーな雰囲気の上杉家廟所



…でお会いした虎猫。
お会いしたおじさまに聞くに名前はみたまやに住んでいる「たま」ちゃん。
謙信の墓所に入っていきました…


 

やっと会えた生(?)謙信!!
ここに鎧を着た状態で漆を満たされた甕に納められている
上杉謙信の「御尊骸」が安置されています。
色んなミステリーと謎を抱えたまま眠っています。



↓ 廟所の中で一番古い二代目景勝の墓所

 



         \法号・宗心/
 

個人的に大層萌えました、法号・宗心。(一番左列)
謙信が第一回上洛の時に京都大徳寺からいただいた法号・宗心。
どういう気持ちで受け継いだのか考えるとご飯が進みます。

このブログアップ後に同好の最上家臣から
「旅行ブログ、霊廟で案内のおじいちゃんが「甥だったんですよ」とか言っただけで
ドゥフフってオタク笑いした餓えたオタクの話が抜けてるぞ!」
といわれたので追記します…(無意識)



廟所から一番にぎやかな上杉神社があるエリアに向かいます。
博物館もそこにありますが、それは次の日に一人でにやにや見に行くのです…



途中で見つけた吸引力すごい看板のお寺




 / わし 戦勝と神仏にはちょっとうるさい^^ \

 







上杉謙信祀堂跡 

元々「謙信公御尊骸」は米沢城内にありました。幕末まで置いてありました。
だから先ほどの廟所の建築は景勝が一番古く謙信が一番新しい。

謙信の遺骸(の入った甕)は景勝、越後に置いていこうとしてました。
理由は愛憎どっち面でもいろいろ想像できて楽しいなのですが
会津を経て米沢ではこの近さです。
城からすぐそこ。藩主の屋敷からもすぐそこ。
会いにいける叔父。
会いにいける養父。




………重い







昔はきっとお堂が建っていてその下に安置されていたのですね
春日山城の不識院によく似ている感じです。









素敵な鷹山神社



 
うわ…上杉分家多すぎ…?












                 \祭神・上杉謙信/





上杉神社です!お隣には宝物殿があり、明日のおたのしみとなりました。
雰囲気のいい神社です。
何時もごめんなさいと謝っておきました。




上杉神社そばの売店にあったモノトーンの缶バッジ。
モノグラムっぽくてかわいくないですか??
(いまだ勇気なくつけられていませんが…)

 




公園の一角にある上杉伯爵亭の庭と
暑さと歩き詰めで疲労困憊の最上家臣(友人)






駅のまん前の、建物二階の喫茶店は空調大変ありがたく生き返りました。
ご飯もりもりでイチゴミルクもすごかった。

そんな謙信探し1日目。次の日は友人と別れ、
独りで宝物殿や景勝展の資料をじっくり嘗め回し、林泉寺にも向かう計画です。

―後編に続きます―

新潟三日目:御館DE焼失直江津ツアー前編

関山に引き続き文章を色々練ってると
いつまで経っても更新が出来ないと気づいたから
写真中心にザバザバサクサク行きます!!


ていうか三日目盛りだくさんでメモまとめるのしんどいス…
細かいこと書かないので 行って見て知ってくだちい!!!




1:宿→至徳寺→駅前(情報収集)(自転車借りる)
2:府中八幡宮
3:五智歴史の里会館
4:居多神社 ←前編ここまで
府中国分寺
村上義清の墓
親鸞聖人上陸の海
親鸞聖人の鏡池
浜善光寺
帰りのスノーラビットから坂戸城


直江津は自転車で色んな謙信スポットをもりもり巡れるところでした。
駅の観光案内所で情報収集→二つのお店で借りられる自転車でGO!が超オススメ



1:超駅近にある至徳寺跡(御館で焼失)
近衛前久が越後に下向した時逗留したというもしかしたら絶謙スポット。
しょっぱなから↑テンション↑
 



2:府中八幡宮(御館で焼失)
謙信の奉納した扁額の写真 他が見れます






なんでか頭の部分が削れている狛犬…
 





3:地獄はここだYo!御館公園(言うまでも無く焼失)



今残っている部分は本当に「城郭の一角」です。
 
春日山とのにらみ合いの距離感は必見だよぉ!







4:五智歴史の里会館

 

  暑い日だったので休憩させてもらったここで何気なく手に取った本こそが、
次に書く居多神社の宮司さんが監修した 自分的最強絶謙本、上杉謙信ものがたり ですぞ!
上越市の小学校とかで配られていたらしいのですが、どうしても手に入れたくなって
後編で色んな方にお世話になり、そして現在、手元にあるのです。
ありがてえ…ありがてえ…!!!

ちなみに
居多神社はここのすぐ真向かいにあります。



5:居多神社 (御館で景虎方についたため景勝側の放火で焼失)

謙信が保護した神社。
宮司さんが刑部や謙信の本を書いておられます。
私は最初刑部の本でお名前を知ったのですが、
今は何故刑部って思います…頭巾だからですか…?



新築っぽい


越後七不思議の一つ片葉の葦




後編につーづーく~~~~~

謙信の家出先候補:関山神社にいってきた




文章を色々練ってるといつまで経っても更新が出来ないと気づいたから
写真中心にザバザバサクサク行くことにしましたよぉーーー!!!







謙信の家出先候補の一つ:関山神社だよぉーーー!!






↑ 鮫ヶ尾城の管理人さんに書いていただいた
「関山神社の裏手にある三郎ちゃんの側室さんのお墓」の地図
行って見たらこの通りの場所でした、無事発見!(後半に写真あり)











境内だけじゃなく周囲の家にもマイ泉があるくらい水が豊富。
このあたりは妙高雪海老というブランドで海老養殖しているようです。





軍艦妙高の艦内神社の分霊元なので、砲弾がモニュメントになってたりする。




 




古くてカッコイイ。

↓ クリックすると大きくなります。古いお墓が並んでいる墓所のエリア。






その一角にある、これが三郎景虎の側室さんのお墓。↓
後でネットで検索したところ、ミラージュヲタさんたちはこちらを
前から御存じでずっとおまいりや法要をされていました。





別のお墓ですがミツバチが巣を作っている。↓




     

そこを襲おうとしているスズメバチのお尻 ↑




墓所を通り入り口にむかって行くと広場がありそれがこの宝蔵院跡。
(上の手書き地図の大きな丸部分)発掘中ぽい雰囲気でした。
相当大きな伽藍だったようです。



帰りに寄ってもらった鬼小島弥太郎の屋敷跡





高田で解散して蓮入りのそばを食べました。
   


前日の謙信公祭り新聞記事をホテルに帰って見ました。




三日目、直江津自転車めぐりに続きます。


        
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