鮫ヶ尾城に行って来た(新潟) 歴史系 2015年11月13日 0 Edit 「お二人は…山城のどういった所がお好きなんでしょうか?」 「私は虎口」 「僕は堀切」 春日山巡ってキャッキャしたせいか、当然のように寝坊して朝ごはん抜きから始まる越後旅行2日目、初めての本格的山城巡りです。 昨日一緒に春日山巡ったともさんと、武者行列に武将役で参加してたFさん(初対面)と合流、ともさんが自分が遭難した時用に持っていたチョコ菓子をイヒヒいいもんもってるじゃねえかぁ~とゲス顔で略奪して朝食がわりとする。 そして鮫ヶ尾城に運んでいただいたのですが、このお二人、城ヲタガチ勢でした。心強いわぁ… ドキッ! 掘切・井戸・虎口好きと巡る初めての本格山城巡り 古墳もあるよ♡ 【前日に引き続き】ちゃんとした史跡の解説はともさんのブログへー【手抜き】 鮫ヶ尾城って所はそばに古墳もあったり、季節は違いましたがカタクリの名所だったり、歴史公園としても楽しめる場所なのですが、 やっぱり謙信死後の後継者争い「御館の乱」で最後の戦いの場所になったことで有名です。 ここで亡くなった 上杉三郎景虎 って人は元は北條の人質の子で、その生涯の悲劇性もさることながら『炎のミラージュ』っていうBL小説?に取り上げられて、ものすごい独特な愛され方をしている、そんな印象です。 関係ないんですがこないだいつも介護してもらってる別ジャンルの方に 「炎のミラージュって景勝に火つけられたから炎のミラージュっていうんですか?」と無垢な声で聞かれたのが忘れられません。しらないよ… 今回は史跡めぐりの合間にまさに幻影の如く見え隠れするミラージュファンの影に少し迫ることになりました。 っていうか鮫ヶ尾城… 曲輪多すぎキメェ!!!! どうもここは上杉(というか謙信)の代の城の特徴がそのまんま残ってるんだそうです。 ほとんど石垣を使わないとか曲輪が多いとか。 なんでかって上杉三郎景虎(以下三郎ちゃん)を攻めるときに景勝が火を放ち丸焼けになり、それきり再利用もされずに放置されたためだそうです。 後ほど書きますが焼き討ちにあったがためにここではある面白いものも出土しています。 鮫ヶ尾城は実に山ですが一番急な場所もこの程度なので季節がよければ割と大丈夫。 そんで城オタさん二人は「縄張り図」というのを用意していてそれを見ながら登る態勢。 Fさんはすぐに見れるようにマップ用ポーチのようなもので首に下げている。 城攻めに対する意識の差がすでに明るみになっている…。 自分はせめて足手まといにならないよう体力の持続を祈りながらざくざくと登ります。 ↑この草ぼうぼうの茂みを見て 「あ~これ段曲輪ですよねーわかりやすい!」 とか行ってる城ヲタ二人の横で「わかんねーよ!!」とつっこむ。 ナイスカーーーット!してる堀切。 自然の尾根を削って敵が通れないようにしたり、行き止まりに導いたりするもので、これは米蔵跡の横にあった小さめ堀切ですがお分かりいただけただろうか… 最初は自然のくぼみと堀切の見分けがつかなかったのですがなんか話を聞いてるうちにわかった気になってくるもんで、下る頃にはあれ?って思う判断力がついてきたような……? 山頂からの眺めはこんな感じです。(クリックで拡大) 左手が春日山と直江津方面。 昨日の謙信公祭りのイベント、支城からの狼煙通信の実演跡が残っていました。 そして鮫ヶ尾城の石碑の前に薔薇の花が一本… ミラージュファンの幻影。後にできたお知り合いの方になんで薔薇を供えるの?って聞いたら、登場人物が主人公によく薔薇の花束をあげていたからだそうです。 頂上から分岐した一方に下ると大井戸。(帰り道ではない) そして虎口。(写真は難しくて無いです) 虎口というのはクランクになっていて敵を待ち受けるものだそうですが、私はレベル低いので見分けよくつかんのです… そしてそばの土の盛り上がりにここに門があったんだ!と盛り上がる城ヲタズ。 (;◉ω◉)<ぉ、おん… 鮫ヶ尾城は大堀切というでっかいのも何本も走っていて堀切と曲輪祭りでした。 多分きちんと見たらすごくいいお城。きちんと見なくても良い登山。 その間の四方山話。 たとえば最近流行のトレイルランナーを「奴らは足軽ですよ…昔はあいつらと戦ったんですよ…」と主張するFさん。城跡見てると猛スピードで横を走りぬけられてびびるそうです。 私は私で山中で「あの~プルシェンコの話していいッスか?ちゃんと謙信に繋がるんで」と無理やりスケート方面の介護させる。 おおむねこういうことを主張した。(クリックで拡大) 今ならちゃんとアホだって分かるからあまりつっこまないでほしい… そんなこんなで登山道に巣を作っているミツバチに二箇所ほど通行止めにあいつつ大体踏破してふもとまで戻ってきたのですが… 鮫ヶ尾城攻めのある意味本丸、ふもとの管理小屋 今思うと帰り際にみた管理人さん(午前と違う人)の後姿、Tシャツに大きく書かれた「景虎」のロゴ…油断してましたがこの方もおそらくガチ勢だったのです…。 ◆小さなみやげ物スペースにおいてある、明らかにミラージュファンの手になる同人誌。 購入したともさんいわく「これすごいよ御館の乱の布陣の向きまで書いてある」 …ミラージュファンの方はおそらく歴オタと別方向からすごく深化した情報を持っている。 その予感は次の関山神社で確信となります。 ◆これから妙高市の関山神社(謙信の家出スポット)に行きます、というと管理人さんが「あそこには景虎の側室さんのお墓があるよ!」それになぜか超ショックを受けるともさんと(正妻一本だと思っていたらしい)それみてデリカシーなくゲラゲラ笑う私。 パンフと手書きの地図をいただく ●三郎ちゃんの最後に食べた(かもしれない)おにぎりが なぜか管理小屋の一番すみっこに展示 奥まったところにありすぎて気づかなかったよ普通気づかないよこれ!!?? ともさんは以前これをおにぎりの展覧会で見たことがあるそうです。 おにぎりが残ると言うのはつまり炭化したということ。 鮫ヶ尾城は落城時に火を放たれております。 その時に焼け焦げたのが土中から発掘されたのです。 成分は黒米が主食だった当時ではめずらしい白米100%!!! その年お米がたくさんとれたからという説と、 城に篭った景虎勢が最後の食事かもしれないということで白米にした説があり…ブワッ 今度は私が「「「なんでこげな一番隅っこにあるんですかぁ三郎ちゃんが最後に食べた(かもしれない)おにぎり…メインでしょうこれ真ん中でしょうさぶろうちゃんの焼きおにぎりぃい!!」」」となって普通に退かれる いやこれほんとに真ん中ではないですか…三郎ちゃんの焼きおにぎり… あと鮫ヶ尾城のお土産で「三郎のこんがりおにぎりせんべい」とかあったら買っていましたね… もっとアピールしても…いいのよ… 三郎ちゃんは物凄い美形だったと言われて謙信がファーーーー///となって 姪の婿にしたというイメージがあったのですが、実際はとても冷静な謙信の書状の訳。 やっぱり横着しないで原本あたらないとだめですのう…そう思った一件です。 妄想膨らませすぎはイクナイ…イクナイね……反省。 そして関山神社へつづく――― 管理人さんお世話になりました。 かんずり重宝してます。 PR