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頭巾旅行用

■歴史系

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新潟三日目:御館DE焼失直江津ツアー後編





前編で片葉の葦をみたあと、すぐ近くにある

 5:府中国分寺 へ。

神仏習合で境内に白山神社のお旅所があります。
イベントの時(…)住職さんが門の所で神様をお見送りしたりお迎えしたりするそうです。
めずらしい…。




国分寺は謙信が再建、しかし当時のものではない。
一度火事にあう。割と最近で原因不明、この後に会う目撃者の方曰く
「本堂の消火は諦めたのかむしろ五重塔の方にじゃんじゃん水をかけてた」




      \水ぶっかけられましたー/

古くてカッコイイ!
干支の彫りが凄い!!!



その本堂が燃えた火事の目撃者のHさんとは ↓ の
親鸞聖人のいた竹之内草庵の前でお会いしました。





Hさんには色々な話を伺ったんだけどあんまり書くとご迷惑かかるじゃろか…

国分寺は檀家を持たない。住職さんは派遣されてやってくる。
お嫁に入られた変わった苗字のH家は、元信濃の国人衆だったそうで
色んな変遷あって越後へ。今は市町村合併でHの地名は消えている…などなど

近くの光源寺には村上義清の供養塔があり、案内してくださった。



雪の深さを思わせるカッコイイお寺です




6:村上義清の供養塔

 


村上さんは糸魚川の根知あたりの県境を守っていてなくなった説があるそうで。
Hさん色々親切に教えてくださりありがとうございましたー!







7:親鸞聖人上陸の地

チャリできた!
謙信にとっては200年以上前の偉人ですがどう思ってたのでしょうね…
(親鸞聖人のことよくわからないので他に感想がない…)

   

↑ クリックすると大きくなります


  





8:親鸞聖人の鏡ヶ池




居多神社の方面へ引き返すとある鏡ヶ池。
ここにも片葉の葦があります。
眺めてたらGACKTファンなの?とおばあちゃんに話しかけられる。


私は謙信好きの歴史オタクなのですが、
謙信公祭りの後で女が一人史跡にいるのを見た直江津の方たちは
大抵先ずGACKTかっこいいよね!って話しかけてくれることが多いです。
その後謙信オタクで…っていうと、そうか!という感じで歴史系モードにシフトする感じも…
まずジャブで距離を測る感じ、お気遣いが大変いとおしくありがたい…(*´ω`)

なんて思っていたらおばあちゃんGACKTガチ勢でした。

GACKTのことよくわからなくて最初どういう人~~?音楽の人~~~?
って思ってたらめっちゃかっこよくて大好きになったというおばあちゃん。
GACKTが謙信で嬉しかったと、
ジモティーはケーブルテレビで謙信公祭りを見る教えてくれるおばあちゃん!
おばあちゃんめっちゃ喜んでる、GACKTありがとう!!!
別の大河かなにかのドラマの中井喜一の話をしてたのはHさんだったか!!
芸能人全然分からなくて風林火山もみてなくてごめんなさい!!!!!
直江津あいしてる!!!
直江津いとしい!!!!

そういえば天地人の話が全然でてこなおえつっ……………!




9:十念寺(浜善光寺)

 

信玄と長野の善光寺を争って、なんかしらを安置したので浜善光寺です。
(勉強がんばろう)




その後イトーヨーカドーでレモンラーメン食べた後、
図書館で五智歴史の里会館で見た「上杉謙信物語」についてお尋ねし、
物凄く親切に色々なところへ問い合わせていただきました。
(その時は手に入らなかったものの再販されたのか、
後日居多神社で友達が見つけて買ってきてもらえました。
今は手元にあってペロペロしております。
ありがとうございました。゚(゚´Д`゚)゚。ツタワレ)

その後
喫茶店のマダム(謙信好き)とディープな感じで楽しく話しこみ、
林泉寺方面を攻めてたオタクの別働隊(智さん)と合流。
帰り道の超快速スノーラビットより最後の最後でチラ見した


10:景勝の魚沼時代の居城、坂土城~~~~~~~!!




                     \カタクリの名所ダヨ~/



以上謙信公祭りからの新潟旅行終了しました。

直江津めぐりは、五智方面は史跡同士がわりと固まっているので
レンタサイクルだと一筆描き感覚で効率よく回れるのが嬉しいです。
のんびりがっつり回ってこれなので、サクサク行けばもっと回れると思います。
取りこぼした史跡も沢山ありそうですが、ちょっとでもご参考になれば幸いです。

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米沢探訪:謙信探しと景勝展に行ってきた:前編


2016年6月、米沢に行きました。
目的は 謙信のお墓参り&生遺物を拝む&上杉博物館での景勝展見学 です。


上杉家は謙信の死後、会津→米沢と引越しを余儀なくされたので
謙信の遺骸の入った甕や、生前使っていた持ち物などは持っていかれて、
もともとの拠点だった上越市にはあまり残っていないのです。


ものすごく暑かったです。
ここからしばらくの写真がなんか白茶けているくらい暑い。



いきなりアウェーを感じさせる義と愛。
ここは謙信ではない、景勝と与六の地。



        \超オススメ♡/



宮坂考古館は駅から近くて、しかも収蔵品が鎧や火縄たっぷりで
すごく見ごたえがあります!必見むしろ上杉博物館よりも ゲフゲフン




憲政プレゼンツの謙信のトンボの鎧垢抜けててかこいい。
上杉憲政さんご本人の鎧もすごい上品シックなオシャレさ。セレブは違うのか…
観音と雲の前盾の流行を始めたのは誰?



個人的好み一等賞は 潟上秀朝さんの鎧!!です!!!

小島弥太郎の鎧が若干ヤンキーセンス。
絵にもかいてありますが並んでると弥太郎下品www 個性があってみんないい。
目録を買おうと思ったのになぜか後の上杉博物館にも置いてあるだろうと思いこんで
結局買えずじまいでした…なんでそう思った。




ここですでにフラフラになった友達(最上家臣)と合流。
駅に戻ってレンタサイクル→飯→上杉家廟所へ

結構離れているのでレンタサイクルめっちゃオススメ。





ウコギの垣根!!これが有名なウコギ!
兼続が持ってきて、鷹山さんが励んだ!ウコギ!!義



 

角を曲がるといきなりホーリーな雰囲気の上杉家廟所



…でお会いした虎猫。
お会いしたおじさまに聞くに名前はみたまやに住んでいる「たま」ちゃん。
謙信の墓所に入っていきました…


 

やっと会えた生(?)謙信!!
ここに鎧を着た状態で漆を満たされた甕に納められている
上杉謙信の「御尊骸」が安置されています。
色んなミステリーと謎を抱えたまま眠っています。



↓ 廟所の中で一番古い二代目景勝の墓所

 



         \法号・宗心/
 

個人的に大層萌えました、法号・宗心。(一番左列)
謙信が第一回上洛の時に京都大徳寺からいただいた法号・宗心。
どういう気持ちで受け継いだのか考えるとご飯が進みます。

このブログアップ後に同好の最上家臣から
「旅行ブログ、霊廟で案内のおじいちゃんが「甥だったんですよ」とか言っただけで
ドゥフフってオタク笑いした餓えたオタクの話が抜けてるぞ!」
といわれたので追記します…(無意識)



廟所から一番にぎやかな上杉神社があるエリアに向かいます。
博物館もそこにありますが、それは次の日に一人でにやにや見に行くのです…



途中で見つけた吸引力すごい看板のお寺




 / わし 戦勝と神仏にはちょっとうるさい^^ \

 







上杉謙信祀堂跡 

元々「謙信公御尊骸」は米沢城内にありました。幕末まで置いてありました。
だから先ほどの廟所の建築は景勝が一番古く謙信が一番新しい。

謙信の遺骸(の入った甕)は景勝、越後に置いていこうとしてました。
理由は愛憎どっち面でもいろいろ想像できて楽しいなのですが
会津を経て米沢ではこの近さです。
城からすぐそこ。藩主の屋敷からもすぐそこ。
会いにいける叔父。
会いにいける養父。




………重い







昔はきっとお堂が建っていてその下に安置されていたのですね
春日山城の不識院によく似ている感じです。









素敵な鷹山神社



 
うわ…上杉分家多すぎ…?












                 \祭神・上杉謙信/





上杉神社です!お隣には宝物殿があり、明日のおたのしみとなりました。
雰囲気のいい神社です。
何時もごめんなさいと謝っておきました。




上杉神社そばの売店にあったモノトーンの缶バッジ。
モノグラムっぽくてかわいくないですか??
(いまだ勇気なくつけられていませんが…)

 




公園の一角にある上杉伯爵亭の庭と
暑さと歩き詰めで疲労困憊の最上家臣(友人)






駅のまん前の、建物二階の喫茶店は空調大変ありがたく生き返りました。
ご飯もりもりでイチゴミルクもすごかった。

そんな謙信探し1日目。次の日は友人と別れ、
独りで宝物殿や景勝展の資料をじっくり嘗め回し、林泉寺にも向かう計画です。

―後編に続きます―

新潟三日目:御館DE焼失直江津ツアー前編

関山に引き続き文章を色々練ってると
いつまで経っても更新が出来ないと気づいたから
写真中心にザバザバサクサク行きます!!


ていうか三日目盛りだくさんでメモまとめるのしんどいス…
細かいこと書かないので 行って見て知ってくだちい!!!




1:宿→至徳寺→駅前(情報収集)(自転車借りる)
2:府中八幡宮
3:五智歴史の里会館
4:居多神社 ←前編ここまで
府中国分寺
村上義清の墓
親鸞聖人上陸の海
親鸞聖人の鏡池
浜善光寺
帰りのスノーラビットから坂戸城


直江津は自転車で色んな謙信スポットをもりもり巡れるところでした。
駅の観光案内所で情報収集→二つのお店で借りられる自転車でGO!が超オススメ



1:超駅近にある至徳寺跡(御館で焼失)
近衛前久が越後に下向した時逗留したというもしかしたら絶謙スポット。
しょっぱなから↑テンション↑
 



2:府中八幡宮(御館で焼失)
謙信の奉納した扁額の写真 他が見れます






なんでか頭の部分が削れている狛犬…
 





3:地獄はここだYo!御館公園(言うまでも無く焼失)



今残っている部分は本当に「城郭の一角」です。
 
春日山とのにらみ合いの距離感は必見だよぉ!







4:五智歴史の里会館

 

  暑い日だったので休憩させてもらったここで何気なく手に取った本こそが、
次に書く居多神社の宮司さんが監修した 自分的最強絶謙本、上杉謙信ものがたり ですぞ!
上越市の小学校とかで配られていたらしいのですが、どうしても手に入れたくなって
後編で色んな方にお世話になり、そして現在、手元にあるのです。
ありがてえ…ありがてえ…!!!

ちなみに
居多神社はここのすぐ真向かいにあります。



5:居多神社 (御館で景虎方についたため景勝側の放火で焼失)

謙信が保護した神社。
宮司さんが刑部や謙信の本を書いておられます。
私は最初刑部の本でお名前を知ったのですが、
今は何故刑部って思います…頭巾だからですか…?



新築っぽい


越後七不思議の一つ片葉の葦




後編につーづーく~~~~~

謙信の家出先候補:関山神社にいってきた




文章を色々練ってるといつまで経っても更新が出来ないと気づいたから
写真中心にザバザバサクサク行くことにしましたよぉーーー!!!







謙信の家出先候補の一つ:関山神社だよぉーーー!!






↑ 鮫ヶ尾城の管理人さんに書いていただいた
「関山神社の裏手にある三郎ちゃんの側室さんのお墓」の地図
行って見たらこの通りの場所でした、無事発見!(後半に写真あり)











境内だけじゃなく周囲の家にもマイ泉があるくらい水が豊富。
このあたりは妙高雪海老というブランドで海老養殖しているようです。





軍艦妙高の艦内神社の分霊元なので、砲弾がモニュメントになってたりする。




 




古くてカッコイイ。

↓ クリックすると大きくなります。古いお墓が並んでいる墓所のエリア。






その一角にある、これが三郎景虎の側室さんのお墓。↓
後でネットで検索したところ、ミラージュヲタさんたちはこちらを
前から御存じでずっとおまいりや法要をされていました。





別のお墓ですがミツバチが巣を作っている。↓




     

そこを襲おうとしているスズメバチのお尻 ↑




墓所を通り入り口にむかって行くと広場がありそれがこの宝蔵院跡。
(上の手書き地図の大きな丸部分)発掘中ぽい雰囲気でした。
相当大きな伽藍だったようです。



帰りに寄ってもらった鬼小島弥太郎の屋敷跡





高田で解散して蓮入りのそばを食べました。
   


前日の謙信公祭り新聞記事をホテルに帰って見ました。




三日目、直江津自転車めぐりに続きます。


鮫ヶ尾城に行って来た(新潟)




「お二人は…山城のどういった所がお好きなんでしょうか?」
「私は虎口
「僕は堀切




春日山巡ってキャッキャしたせいか、当然のように寝坊して朝ごはん抜きから始まる越後旅行2日目、初めての本格的山城巡りです。
昨日一緒に春日山巡ったともさんと、武者行列に武将役で参加してたFさん(初対面)と合流、ともさんが自分が遭難した時用に持っていたチョコ菓子をイヒヒいいもんもってるじゃねえかぁ~とゲス顔で略奪して朝食がわりとする。
そして鮫ヶ尾城に運んでいただいたのですが、このお二人、城ヲタガチ勢でした。心強いわぁ…


ドキッ! 掘切・井戸・虎口好きと巡る初めての本格山城巡り 古墳もあるよ♡

【前日に引き続き】ちゃんとした史跡の解説はともさんのブログへー【手抜き】



鮫ヶ尾城って所はそばに古墳もあったり、季節は違いましたがカタクリの名所だったり、歴史公園としても楽しめる場所なのですが、






やっぱり謙信死後の後継者争い「御館の乱」で最後の戦いの場所になったことで有名です。
ここで亡くなった 上杉三郎景虎 って人は元は北條の人質の子で、その生涯の悲劇性もさることながら『炎のミラージュ』っていうBL小説?に取り上げられて、ものすごい独特な愛され方をしている、そんな印象です。
関係ないんですがこないだいつも介護してもらってる別ジャンルの方に
「炎のミラージュって景勝に火つけられたから炎のミラージュっていうんですか?」と無垢な声で聞かれたのが忘れられません。しらないよ…

今回は史跡めぐりの合間にまさに幻影の如く見え隠れするミラージュファンの影に少し迫ることになりました。

っていうか鮫ヶ尾城…



曲輪多すぎキメェ!!!!


どうもここは上杉(というか謙信)の代の城の特徴がそのまんま残ってるんだそうです。

ほとんど石垣を使わないとか曲輪が多いとか。
なんでかって上杉三郎景虎(以下三郎ちゃん)を攻めるときに景勝が火を放ち丸焼けになり、それきり再利用もされずに放置されたためだそうです。
後ほど書きますが焼き討ちにあったがためにここではある面白いものも出土しています。






鮫ヶ尾城は実に山ですが一番急な場所もこの程度なので季節がよければ割と大丈夫。
そんで城オタさん二人は「縄張り図」というのを用意していてそれを見ながら登る態勢。
Fさんはすぐに見れるようにマップ用ポーチのようなもので首に下げている。
城攻めに対する意識の差がすでに明るみになっている…。
自分はせめて足手まといにならないよう体力の持続を祈りながらざくざくと登ります。






↑この草ぼうぼうの茂みを見て
「あ~これ段曲輪ですよねーわかりやすい!」
とか行ってる城ヲタ二人の横で「わかんねーよ!!」とつっこむ。





ナイスカーーーット!してる堀切。
自然の尾根を削って敵が通れないようにしたり、行き止まりに導いたりするもので、これは米蔵跡の横にあった小さめ堀切ですがお分かりいただけただろうか…
最初は自然のくぼみと堀切の見分けがつかなかったのですがなんか話を聞いてるうちにわかった気になってくるもんで、下る頃にはあれ?って思う判断力がついてきたような……?






山頂からの眺めはこんな感じです。(クリックで拡大)
左手が春日山と直江津方面。



昨日の謙信公祭りのイベント、支城からの狼煙通信の実演跡が残っていました。

そして鮫ヶ尾城の石碑の前に薔薇の花が一本…
ミラージュファンの幻影。後にできたお知り合いの方になんで薔薇を供えるの?って聞いたら、登場人物が主人公によく薔薇の花束をあげていたからだそうです。




頂上から分岐した一方に下ると大井戸。(帰り道ではない)
そして虎口。(写真は難しくて無いです)
虎口というのはクランクになっていて敵を待ち受けるものだそうですが、私はレベル低いので見分けよくつかんのです…
そしてそばの土の盛り上がりにここに門があったんだ!と盛り上がる城ヲタズ。
(;◉ω◉)<ぉ、おん…

鮫ヶ尾城は大堀切というでっかいのも何本も走っていて堀切と曲輪祭りでした。
多分きちんと見たらすごくいいお城。きちんと見なくても良い登山。

その間の四方山話。
たとえば最近流行のトレイルランナーを「奴らは足軽ですよ…昔はあいつらと戦ったんですよ…」と主張するFさん。城跡見てると猛スピードで横を走りぬけられてびびるそうです。

私は私で山中で「あの~プルシェンコの話していいッスか?ちゃんと謙信に繋がるんで」と無理やりスケート方面の介護させる。


おおむねこういうことを主張した。(クリックで拡大)
今ならちゃんとアホだって分かるからあまりつっこまないでほしい

そんなこんなで登山道に巣を作っているミツバチに二箇所ほど通行止めにあいつつ大体踏破してふもとまで戻ってきたのですが…

鮫ヶ尾城攻めのある意味本丸、ふもとの管理小屋


今思うと帰り際にみた管理人さん(午前と違う人)の後姿、Tシャツに大きく書かれた「景虎」のロゴ…油断してましたがこの方もおそらくガチ勢だったのです…。


◆小さなみやげ物スペースにおいてある、明らかにミラージュファンの手になる同人誌。
購入したともさんいわく「これすごいよ御館の乱の布陣の向きまで書いてある」

…ミラージュファンの方はおそらく歴オタと別方向からすごく深化した情報を持っている。
その予感は次の関山神社で確信となります。

◆これから妙高市の関山神社(謙信の家出スポット)に行きます、というと管理人さんが「あそこには景虎の側室さんのお墓があるよ!」それになぜか超ショックを受けるともさんと(正妻一本だと思っていたらしい)それみてデリカシーなくゲラゲラ笑う私。
パンフと手書きの地図をいただく





三郎ちゃんの最後に食べた(かもしれない)おにぎりが
なぜか管理小屋の一番すみっこに展示


奥まったところにありすぎて気づかなかったよ普通気づかないよこれ!!??


ともさんは以前これをおにぎりの展覧会で見たことがあるそうです。

おにぎりが残ると言うのはつまり炭化したということ。
鮫ヶ尾城は落城時に火を放たれております。
その時に焼け焦げたのが土中から発掘されたのです。
成分は黒米が主食だった当時ではめずらしい白米100%!!!
その年お米がたくさんとれたからという説と、
城に篭った景虎勢が最後の食事かもしれないということで白米にした説があり…ブワッ

今度は私が「「「なんでこげな一番隅っこにあるんですかぁ三郎ちゃんが最後に食べた(かもしれない)おにぎり…メインでしょうこれ真ん中でしょうさぶろうちゃんの焼きおにぎりぃい!!」」」となって普通に退かれる

いやこれほんとに真ん中ではないですか…三郎ちゃんの焼きおにぎり…
あと鮫ヶ尾城のお土産で「三郎のこんがりおにぎりせんべい」とかあったら買っていましたね…
もっとアピールしても…いいのよ…




三郎ちゃんは物凄い美形だったと言われて謙信がファーーーー///となって
姪の婿にしたというイメージがあったのですが、実際はとても冷静な謙信の書状の訳。
やっぱり横着しないで原本あたらないとだめですのう…そう思った一件です。
妄想膨らませすぎはイクナイ…イクナイね……反省。


そして関山神社へつづく―――




管理人さんお世話になりました。
かんずり重宝してます。

謙信公祭りに行って来た!


同行の人が数の暴力って言ったやつ ↑



2015年8月23~25日、直江津の謙信公祭りに行きました。


 
東京から越後湯沢で超快速スノーラビットに乗り換える最速且つ最安のルートです。

超快速というから特急車両然としたのを想像していたらなんか二両編成の普通の車両が止まっていて、最初はマジコレ超快速wwwって思いましたが、乗ったらその二両編成の車両が呼び名に恥じぬとんでもない速さでトンネルをゴンゴン潜り抜けて行きよるので、必死に顔に出さないようにしながらイッヒョオオオwwwwしておりました。しかも特急料金とらんのです。
惚れたぜ雪うさぎ…そしてほくほく線…新幹線に負けないで…

超鈍足スノータートルもあるよ!



そんなこんなでひそかに6,7年ぶり?の直江津着なのです。
お祭りモードでキャッキャウフフワッショイしてると思いきや駅が通常運転すぎて、
いきなり祭りの日を間違えたのかと漏らしかける(前科有り)。

↓ 一番左の山が多分春日山



ホテルのレンタサイクルで春日山方向に向かってやっと謙信公祭りの幟を発見して安心したんですが、たった一駅同じお膝元でえらい違うのはなんでなんだぜ?

 

フォロワーさんと初対面コンニチハしたあとオススメに従って
春日山城を大手門から登ることに。

 登ってみて思ったのですが大手門からの登城すごくいいです!
さほどきつくもなく、家臣団の屋敷跡とかゆったり見ながら
ココが鬼小島のハウスね!
ココが柿崎さんのハウスね!
言ってるうちにほぼ一筆書きっぽく本丸へ至れます。


 


きちんとしたお城跡の解説はぜひご一緒した方のブログへ…(アクロバティック手抜き)
私はそん時の会話とか、思った事とかその辺拾ってくことにします。




井戸郭と大井戸。城の井戸って初めて見たんですけどやっぱでかかったです。
こんなでっかい井戸だと毒入れるにしてもいっぱい必要ですね~(無垢)て言ったら
「そういう時は糞尿をいれるんですよ~城内でも調達できるし」って返されて
(´◉ω◉)←こういう顔になりました。まったく戦国は地獄だぜーフゥーハハー
(合戦で敵を破傷風とか病気にさせるため武器を糞尿に浸したとかも聞いた事があるます)


 
関白近衛前久が春日山城へやってきた時の登城ルートで御成街道と呼ばれている部分。
大手道から後に景勝屋敷になる郭へ上り、橋を伝って本丸へと至ったのか?
前久はさすがに歩かず籠ですかね???
近衛前久の越後下向については三日目、逗留した寺の跡の所でも少し細かく書こうと思います。


というかこの辺本当に小山というかいろんな部分がもっこもっこしてて楽しい!





 
 


 


そしてその位置とでかさに優遇されたのをビンビン感じる景勝のハウス

本丸の真裏ですし、井戸郭、大手道を一望でき、
本丸へといたる鐘楼と重要拠点が当時は橋で結ばれていたってすごい。
ただそう思わせるために後年、屋敷図作られてる可能性もありよと聞いてウーームムとなる。
研究に期待…。

↓ 橋で繋がった鐘楼跡は見張り台も兼ねてたようで、



大手道が柿崎さんちまで一望できる。
木がなければもっとみえる。




本丸謙信ちゃんハーーウーースーーー!!(本丸)
見晴らし実に良し!天守の並びには橋が架かっていて
護摩堂☆諏訪堂☆毘沙門堂☆アーンド不識院跡☆という
宗教施設のジェットストリームアタックみたいなエリアに簡単アクセス!




その隣にはお花畑…なんだこいつ…!  カワイイ…///



(三の丸の馬屋は江戸時代の古地図に書いてあった気がするけど
もしかしたら違うかも知んないっていわれた)



その下には二の丸。これもちょっと曖昧うろおぼえソースなのですが(ご注意!!!)
御立飯という、戦の前に謙信が諸将にめっちゃご馳走したという逸話があり、
その釜焚きの煙は二の丸から上がったとかなんとか?
城内の飯を一度に作ってたのでしょうか?山城の運営とかさっぱりわからないや。
特に春日山は実際に生活が営まれていた珍しいお城だけに。

春日山城内のちょっと離れたところに「お屋敷跡」というところがあり、
そこからかわらけ(陶器の破片)が沢山出てきたらしく宴会場はここだったのかなーとか。
でも堀さんの時代も入ってるから今後の研究に期待…。



 


その隣あたりに三の丸。上杉景虎のハウス。
最近朝に熊が出た(にらみ効かずといわれても謙信も困るだろう)
米蔵が近くにあったらしい。実城を見上げると位置関係はこんな感じです。




その時バリーーーーン!!とかブリーーーン!!みたいなすごい音がしてビクッとなる。
山に残響が残る位の、それは山の下でやっている米沢藩古式砲術保存会の火縄実演でした。

謙信死後の後継者争いで、本丸を占拠した景勝は
直下の三の丸の景虎屋敷へ向けて銃弾を放ったと言われています。
上の写真の通りさっき居たばかりの本丸から今居る三の丸は階段降りてすぐなのです。
超☆至近距離です。
当時と同じ火力なのかはわかりませんが…
もし同じくらいだとすると、あの音をここと、ここ間でって…

音だけでもとんでもなく暴力的な行為だと思いました。
ぶっちゃけ示威だけでもなく威力、殺る気満々かと。

まったく御館の乱は地獄だぜーフゥーーハハーーー!



 


対して坂の下にある甘粕さんちのあまりにあまりな狭さに
「謙信の花畑の方が広い!」
「私のワンルームより狭い!」
ちょっと気の利いた広めの便所だコレ!」
「いじめが始まったんです!?」と大変盛り上がる。



ぬっちゃけ春日山城には斜面にも家が立ってたという説があるらしいので、
普通に掛け造りで張り出した建物があったんだと思うのですが…が。





その後武者行列をストーキングし、ガクトとガクトガールズを眺め、



空腹MAXの時に謙信公の台所という洗車場を使った屋台村に出会って
ありがてぇ…ありがてぇっ…と咽びながらちまきを食べて
川中島合戦再現FOOOOOOO!!して1日目終了。

ガクトとお祭りの詳細は同行の方のブログへ再び



二日目は前から行きたかった鮫ヶ尾城跡です。(つづく)


        
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