忍者ブログ

頭巾旅行用

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


早雲寺の特別拝観+α に行って来た(神奈川)


(今回はなんか絵日記帳です)

文化の日に行った箱根湯本は紅葉にはちょっと早かった。
ちょーどやってた大名行列みたあと、早雲寺の特別拝観にいきました。
温泉は華麗にスルーして旧街道を歩く(後で筋肉痛になった)
山間の、階段がたくさんある町は歩いてて非常に楽しいです














早雲寺の特別拝観は、戦国時代の漆器だとか江戸初期の薬箱とかが床に展示されており、机の上には早雲伊勢出身説の根拠の一つになってる書状があまりにもカジュアルに置いてあったため、複製ですよね?と聞いたら本物でした。
『特別』は伊達じゃねえと思いました。



面白かったのは当時にかかれたとされる北條三代の画像は顔も服も個性がちゃんと描き分けられてたのに対し、後年土佐光起って人が書いた五代図の三代から下がアナログだけど完全コピペ状態でした。
服も顔も自分が書きやすいように描いたっぽい。
せめて氏康はコピペすんなしとおもいました。


地味にクるものがありました




帰り道サルにあいました。
後からきた人と合流して通過できました。お供えの百合の花食べるんだそうです。
あと早雲寺、今年二回侵入されたそうです。(本堂でお供えの羊羹食べたのだと)
一枚の張替えに100万かかるという襖絵が無事でよかったほんとうによかった…!



その後小田原によりました。
最近ステディな関係を築きつつあるso-unにあうためです。
お前の墓…よく管理されてたぜ…という報告も兼ねようと思いました。
あとうどんが食べたかった。とろろそばでもよかった。
 

文化の日のSO-UN///


とろろそば検索してたら店の入っている西友が、
前に流れてきて記憶の端に引っかかってたこの展覧会と同じ場所だと気づき
こいつぁラッキーだぜといそいそ向かいました。


そしてこの展覧会がすごまじかった。最初に呟いてくれた方ありがとう…

徳川家康没後400年×琳派 創世 400年 文化展


例えるならサントリー美術館とかそういう1000円以上余裕で取られる展覧会にあるレベル(と思う)名物が西友の呉服屋さんに並んでました。
西友に俵屋宗達や尾形光琳の茶道具、小物、着物などがズラリだった。
それも一目で見て綺麗だとか欲しいだとか思えるもんでした。ポカーンでした。

銀箔地に青や黒で、すきっと模様が描かれた男性用の舞扇が個人的に激しく粋うつくしかった。
俵屋宗達の子犬たちの置物はころころしていて肉球までつくられていた。
呉服屋さんだから着物も沢山あった。今でも通じるモダンデザインが集結していた

その美術品はその呉服屋さんとご縁のある真田の元家臣筋の旧家の所蔵だそうで、まだまだあるんだって…。
次はどんなのがみたい?って…聞かれてもいやぁこの路線でお願いしますと二回言って帰ってきました。
無料なのが申し訳なく思うレベルでした。
来年も開催してくださるそうです。行くぜ…


これにて絵日記おしまい。
とろろそば美味しかったです(完)




     
PR

鮫ヶ尾城に行って来た(新潟)




「お二人は…山城のどういった所がお好きなんでしょうか?」
「私は虎口
「僕は堀切




春日山巡ってキャッキャしたせいか、当然のように寝坊して朝ごはん抜きから始まる越後旅行2日目、初めての本格的山城巡りです。
昨日一緒に春日山巡ったともさんと、武者行列に武将役で参加してたFさん(初対面)と合流、ともさんが自分が遭難した時用に持っていたチョコ菓子をイヒヒいいもんもってるじゃねえかぁ~とゲス顔で略奪して朝食がわりとする。
そして鮫ヶ尾城に運んでいただいたのですが、このお二人、城ヲタガチ勢でした。心強いわぁ…


ドキッ! 掘切・井戸・虎口好きと巡る初めての本格山城巡り 古墳もあるよ♡

【前日に引き続き】ちゃんとした史跡の解説はともさんのブログへー【手抜き】



鮫ヶ尾城って所はそばに古墳もあったり、季節は違いましたがカタクリの名所だったり、歴史公園としても楽しめる場所なのですが、






やっぱり謙信死後の後継者争い「御館の乱」で最後の戦いの場所になったことで有名です。
ここで亡くなった 上杉三郎景虎 って人は元は北條の人質の子で、その生涯の悲劇性もさることながら『炎のミラージュ』っていうBL小説?に取り上げられて、ものすごい独特な愛され方をしている、そんな印象です。
関係ないんですがこないだいつも介護してもらってる別ジャンルの方に
「炎のミラージュって景勝に火つけられたから炎のミラージュっていうんですか?」と無垢な声で聞かれたのが忘れられません。しらないよ…

今回は史跡めぐりの合間にまさに幻影の如く見え隠れするミラージュファンの影に少し迫ることになりました。

っていうか鮫ヶ尾城…



曲輪多すぎキメェ!!!!


どうもここは上杉(というか謙信)の代の城の特徴がそのまんま残ってるんだそうです。

ほとんど石垣を使わないとか曲輪が多いとか。
なんでかって上杉三郎景虎(以下三郎ちゃん)を攻めるときに景勝が火を放ち丸焼けになり、それきり再利用もされずに放置されたためだそうです。
後ほど書きますが焼き討ちにあったがためにここではある面白いものも出土しています。






鮫ヶ尾城は実に山ですが一番急な場所もこの程度なので季節がよければ割と大丈夫。
そんで城オタさん二人は「縄張り図」というのを用意していてそれを見ながら登る態勢。
Fさんはすぐに見れるようにマップ用ポーチのようなもので首に下げている。
城攻めに対する意識の差がすでに明るみになっている…。
自分はせめて足手まといにならないよう体力の持続を祈りながらざくざくと登ります。






↑この草ぼうぼうの茂みを見て
「あ~これ段曲輪ですよねーわかりやすい!」
とか行ってる城ヲタ二人の横で「わかんねーよ!!」とつっこむ。





ナイスカーーーット!してる堀切。
自然の尾根を削って敵が通れないようにしたり、行き止まりに導いたりするもので、これは米蔵跡の横にあった小さめ堀切ですがお分かりいただけただろうか…
最初は自然のくぼみと堀切の見分けがつかなかったのですがなんか話を聞いてるうちにわかった気になってくるもんで、下る頃にはあれ?って思う判断力がついてきたような……?






山頂からの眺めはこんな感じです。(クリックで拡大)
左手が春日山と直江津方面。



昨日の謙信公祭りのイベント、支城からの狼煙通信の実演跡が残っていました。

そして鮫ヶ尾城の石碑の前に薔薇の花が一本…
ミラージュファンの幻影。後にできたお知り合いの方になんで薔薇を供えるの?って聞いたら、登場人物が主人公によく薔薇の花束をあげていたからだそうです。




頂上から分岐した一方に下ると大井戸。(帰り道ではない)
そして虎口。(写真は難しくて無いです)
虎口というのはクランクになっていて敵を待ち受けるものだそうですが、私はレベル低いので見分けよくつかんのです…
そしてそばの土の盛り上がりにここに門があったんだ!と盛り上がる城ヲタズ。
(;◉ω◉)<ぉ、おん…

鮫ヶ尾城は大堀切というでっかいのも何本も走っていて堀切と曲輪祭りでした。
多分きちんと見たらすごくいいお城。きちんと見なくても良い登山。

その間の四方山話。
たとえば最近流行のトレイルランナーを「奴らは足軽ですよ…昔はあいつらと戦ったんですよ…」と主張するFさん。城跡見てると猛スピードで横を走りぬけられてびびるそうです。

私は私で山中で「あの~プルシェンコの話していいッスか?ちゃんと謙信に繋がるんで」と無理やりスケート方面の介護させる。


おおむねこういうことを主張した。(クリックで拡大)
今ならちゃんとアホだって分かるからあまりつっこまないでほしい

そんなこんなで登山道に巣を作っているミツバチに二箇所ほど通行止めにあいつつ大体踏破してふもとまで戻ってきたのですが…

鮫ヶ尾城攻めのある意味本丸、ふもとの管理小屋


今思うと帰り際にみた管理人さん(午前と違う人)の後姿、Tシャツに大きく書かれた「景虎」のロゴ…油断してましたがこの方もおそらくガチ勢だったのです…。


◆小さなみやげ物スペースにおいてある、明らかにミラージュファンの手になる同人誌。
購入したともさんいわく「これすごいよ御館の乱の布陣の向きまで書いてある」

…ミラージュファンの方はおそらく歴オタと別方向からすごく深化した情報を持っている。
その予感は次の関山神社で確信となります。

◆これから妙高市の関山神社(謙信の家出スポット)に行きます、というと管理人さんが「あそこには景虎の側室さんのお墓があるよ!」それになぜか超ショックを受けるともさんと(正妻一本だと思っていたらしい)それみてデリカシーなくゲラゲラ笑う私。
パンフと手書きの地図をいただく





三郎ちゃんの最後に食べた(かもしれない)おにぎりが
なぜか管理小屋の一番すみっこに展示


奥まったところにありすぎて気づかなかったよ普通気づかないよこれ!!??


ともさんは以前これをおにぎりの展覧会で見たことがあるそうです。

おにぎりが残ると言うのはつまり炭化したということ。
鮫ヶ尾城は落城時に火を放たれております。
その時に焼け焦げたのが土中から発掘されたのです。
成分は黒米が主食だった当時ではめずらしい白米100%!!!
その年お米がたくさんとれたからという説と、
城に篭った景虎勢が最後の食事かもしれないということで白米にした説があり…ブワッ

今度は私が「「「なんでこげな一番隅っこにあるんですかぁ三郎ちゃんが最後に食べた(かもしれない)おにぎり…メインでしょうこれ真ん中でしょうさぶろうちゃんの焼きおにぎりぃい!!」」」となって普通に退かれる

いやこれほんとに真ん中ではないですか…三郎ちゃんの焼きおにぎり…
あと鮫ヶ尾城のお土産で「三郎のこんがりおにぎりせんべい」とかあったら買っていましたね…
もっとアピールしても…いいのよ…




三郎ちゃんは物凄い美形だったと言われて謙信がファーーーー///となって
姪の婿にしたというイメージがあったのですが、実際はとても冷静な謙信の書状の訳。
やっぱり横着しないで原本あたらないとだめですのう…そう思った一件です。
妄想膨らませすぎはイクナイ…イクナイね……反省。


そして関山神社へつづく―――




管理人さんお世話になりました。
かんずり重宝してます。

謙信公祭りに行って来た!


同行の人が数の暴力って言ったやつ ↑



2015年8月23~25日、直江津の謙信公祭りに行きました。


 
東京から越後湯沢で超快速スノーラビットに乗り換える最速且つ最安のルートです。

超快速というから特急車両然としたのを想像していたらなんか二両編成の普通の車両が止まっていて、最初はマジコレ超快速wwwって思いましたが、乗ったらその二両編成の車両が呼び名に恥じぬとんでもない速さでトンネルをゴンゴン潜り抜けて行きよるので、必死に顔に出さないようにしながらイッヒョオオオwwwwしておりました。しかも特急料金とらんのです。
惚れたぜ雪うさぎ…そしてほくほく線…新幹線に負けないで…

超鈍足スノータートルもあるよ!



そんなこんなでひそかに6,7年ぶり?の直江津着なのです。
お祭りモードでキャッキャウフフワッショイしてると思いきや駅が通常運転すぎて、
いきなり祭りの日を間違えたのかと漏らしかける(前科有り)。

↓ 一番左の山が多分春日山



ホテルのレンタサイクルで春日山方向に向かってやっと謙信公祭りの幟を発見して安心したんですが、たった一駅同じお膝元でえらい違うのはなんでなんだぜ?

 

フォロワーさんと初対面コンニチハしたあとオススメに従って
春日山城を大手門から登ることに。

 登ってみて思ったのですが大手門からの登城すごくいいです!
さほどきつくもなく、家臣団の屋敷跡とかゆったり見ながら
ココが鬼小島のハウスね!
ココが柿崎さんのハウスね!
言ってるうちにほぼ一筆書きっぽく本丸へ至れます。


 


きちんとしたお城跡の解説はぜひご一緒した方のブログへ…(アクロバティック手抜き)
私はそん時の会話とか、思った事とかその辺拾ってくことにします。




井戸郭と大井戸。城の井戸って初めて見たんですけどやっぱでかかったです。
こんなでっかい井戸だと毒入れるにしてもいっぱい必要ですね~(無垢)て言ったら
「そういう時は糞尿をいれるんですよ~城内でも調達できるし」って返されて
(´◉ω◉)←こういう顔になりました。まったく戦国は地獄だぜーフゥーハハー
(合戦で敵を破傷風とか病気にさせるため武器を糞尿に浸したとかも聞いた事があるます)


 
関白近衛前久が春日山城へやってきた時の登城ルートで御成街道と呼ばれている部分。
大手道から後に景勝屋敷になる郭へ上り、橋を伝って本丸へと至ったのか?
前久はさすがに歩かず籠ですかね???
近衛前久の越後下向については三日目、逗留した寺の跡の所でも少し細かく書こうと思います。


というかこの辺本当に小山というかいろんな部分がもっこもっこしてて楽しい!





 
 


 


そしてその位置とでかさに優遇されたのをビンビン感じる景勝のハウス

本丸の真裏ですし、井戸郭、大手道を一望でき、
本丸へといたる鐘楼と重要拠点が当時は橋で結ばれていたってすごい。
ただそう思わせるために後年、屋敷図作られてる可能性もありよと聞いてウーームムとなる。
研究に期待…。

↓ 橋で繋がった鐘楼跡は見張り台も兼ねてたようで、



大手道が柿崎さんちまで一望できる。
木がなければもっとみえる。




本丸謙信ちゃんハーーウーースーーー!!(本丸)
見晴らし実に良し!天守の並びには橋が架かっていて
護摩堂☆諏訪堂☆毘沙門堂☆アーンド不識院跡☆という
宗教施設のジェットストリームアタックみたいなエリアに簡単アクセス!




その隣にはお花畑…なんだこいつ…!  カワイイ…///



(三の丸の馬屋は江戸時代の古地図に書いてあった気がするけど
もしかしたら違うかも知んないっていわれた)



その下には二の丸。これもちょっと曖昧うろおぼえソースなのですが(ご注意!!!)
御立飯という、戦の前に謙信が諸将にめっちゃご馳走したという逸話があり、
その釜焚きの煙は二の丸から上がったとかなんとか?
城内の飯を一度に作ってたのでしょうか?山城の運営とかさっぱりわからないや。
特に春日山は実際に生活が営まれていた珍しいお城だけに。

春日山城内のちょっと離れたところに「お屋敷跡」というところがあり、
そこからかわらけ(陶器の破片)が沢山出てきたらしく宴会場はここだったのかなーとか。
でも堀さんの時代も入ってるから今後の研究に期待…。



 


その隣あたりに三の丸。上杉景虎のハウス。
最近朝に熊が出た(にらみ効かずといわれても謙信も困るだろう)
米蔵が近くにあったらしい。実城を見上げると位置関係はこんな感じです。




その時バリーーーーン!!とかブリーーーン!!みたいなすごい音がしてビクッとなる。
山に残響が残る位の、それは山の下でやっている米沢藩古式砲術保存会の火縄実演でした。

謙信死後の後継者争いで、本丸を占拠した景勝は
直下の三の丸の景虎屋敷へ向けて銃弾を放ったと言われています。
上の写真の通りさっき居たばかりの本丸から今居る三の丸は階段降りてすぐなのです。
超☆至近距離です。
当時と同じ火力なのかはわかりませんが…
もし同じくらいだとすると、あの音をここと、ここ間でって…

音だけでもとんでもなく暴力的な行為だと思いました。
ぶっちゃけ示威だけでもなく威力、殺る気満々かと。

まったく御館の乱は地獄だぜーフゥーーハハーーー!



 


対して坂の下にある甘粕さんちのあまりにあまりな狭さに
「謙信の花畑の方が広い!」
「私のワンルームより狭い!」
ちょっと気の利いた広めの便所だコレ!」
「いじめが始まったんです!?」と大変盛り上がる。



ぬっちゃけ春日山城には斜面にも家が立ってたという説があるらしいので、
普通に掛け造りで張り出した建物があったんだと思うのですが…が。





その後武者行列をストーキングし、ガクトとガクトガールズを眺め、



空腹MAXの時に謙信公の台所という洗車場を使った屋台村に出会って
ありがてぇ…ありがてぇっ…と咽びながらちまきを食べて
川中島合戦再現FOOOOOOO!!して1日目終了。

ガクトとお祭りの詳細は同行の方のブログへ再び



二日目は前から行きたかった鮫ヶ尾城跡です。(つづく)


寄生虫館に行ってきた

\コンニチハ!/
ここから先はグロ注意

目黒の百段怪談で日本の美を堪能した後に寄生虫館に行きました。
何年か越しに二回目なのですが、昔よりすごく展示が充実してる気がします!
バズーカのようなカメラでなぜか連写してる外国の人もいました。
これで無料はすごいよぉ///

ただ話に花を咲かせてしまったためあんま写真撮ってませんでした。




山中城に行ってきた(静岡県)



2015年7月、静岡県の三島市、箱根方面に向かった山の中にある
北条のお城、山中城に行ってきました。


物凄く手入れの行き届いた、
散歩だけでも景色が綺麗で楽しめるお城跡でした!
ぐるっと全部回って2時間くらいかと。

でもまだまだ手付かずの旅行記沢山あるので
写真そそっと流すだけな感じです。すみません…


金山城を物見した(太田・後編)


これまでのあらすじ

2015年6月末午後六時、私は仕事場を足場にして群馬へ向かったが
財布にほとんど金がなくクレカもなく、実家にオレオレ詐欺まがいの電話をかけたり
「野宿 方法」「警察 お金 借りる」を検索したりしながら
逆転のネットマネーでなんとか宿と帰りの路銀を確保してスネークセンターで蛇を見る。

太田の「前編」はこちら
※スネークセンターのヘビのことしか書いてません。


金山城を物見した(太田・後編)




今回は佐野城につづいて金山城跡、
頂上まで20分(登山的意味で)を残し無念の撤退、
山城攻めはご計画的に!グギギギイイ!…という話です。


        
  • 1
  • 2
  • 3